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すげえ〜!大和の1/700スケールで、沖縄特攻タイプちゃすげえな。 個人的には、空母赤城がいいんだけど、1/700だと零式艦上戦闘機が10mm位(キャノピーが2mm位?)になるんで難しいやろうね。 むさお 

リクエストに応えてか、航空母艦翔鶴が進水間近!・・こちらだ!







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マーキの模型ギャラリー

 コレクション2 「戦艦 大和」 20120108
軍艦 大和(やまと)は旧日本海軍の大和型戦艦の一番艦で国営の呉海軍工廠で建造されました。二番艦は民間の三菱重工長崎の2番ドックで建造された有名な「武蔵」(むさし)。三番館は途中で航空母艦に改造された「信濃」(しなの)です。戦艦はその船幅に搭載出来る主砲の大きさが制限されます。大和型は、当時の敵国米国がパナマ運河を通れる幅の戦艦しか建造しないという推測のもと、「盥(たらい)」と呼ばれる程広い38.9mの船幅に46センチ50口径の主砲を9門搭載し、米国の戦艦の主砲射程の外から一方的に砲撃し勝利する事を願って作られました。もし敵にこの情報がばれると運河を通ることを諦めてでもより大型の戦艦を造られてしまうので非常な機密保持態勢の中建造されました。就役後も日本国民にもその存在が秘匿されたほどだったようです。ただ実戦においては航空機動部隊による戦闘が主力となっていて燃料を使う大和には全く活躍の場は無く、敗戦色濃厚な1945年4月7日天一号作戦、いわゆる沖縄特攻作戦において米国航空機動部隊の攻撃により多くの乗員を道連れに敢えない最後を遂げました。
満載排水量 72,809トン  全長 263.0m  水線長 256.0m  全幅 38.9m 公試吃水 10.4m
主機関  ロ号艦本式缶12缶 艦本式タービン4基4軸 153,553馬力
最終時乗員数 3,332名
最終時兵装 45口径 46cm3連装砲塔: 3基 射程距離:42km 60口径 15.5cm3連装砲塔: 2基
40口径 12.7cm連装高角砲: 12基
25mm 3連装機銃: 52基 25mm 単装機銃: 6基 13mm 連装機銃: 2基

さてそんな大和についての事はここで読まずとも、ちょっとインターネットを検索すればより詳しく読めます。当ページが興味深いと思えたことは、二人のマーキ・・。キムタク主演でTBS系日曜ドラマ「南極物語」が放映されていますが、初めての南極観測隊(殆ど探検隊)を南極に送り届ける南極観測船が「宗谷」(そうや)なんだけど、この「宗谷」を南極探検可能な砕氷艦に改造したのが実は大和を設計した技官の一人である旧日本海軍の技術将校牧野茂(マキノシゲル)大佐その人でした。日本はまだ敗戦国の時代だったし、戦勝国ですら良い砕氷艦はなかったのです。
日本には砕氷船を製造する資金も時間もなく、中古船を砕氷船へ改修するしか方法はありません。そこでその母体として抜擢されたのが、船齢18年になるボロボロの灯台保安船「宗谷(そうや)」。元々はソ連からの発注で建造された貨物船「ボロチャエベツ」だったんだけど戦況の悪化で輸出できなくなり貨物船「地領丸」として就航。日本海軍に買い取られ特務艦「宗谷」となり魚雷が命中しても不発で助かったり、逆に僅かに積んでいる砲で敵艦や敵潜水艦を幸運にも撃破したりしながら終戦まで生き残り、終戦後は引き揚げ船となり人命救助に活躍、海上保安庁の灯台保安船へと転用されていたのです。この使い込まれたボロ船を、改造する依頼を受けたのがその大和の設計者牧野茂氏でした。彼を首班とするチームは短期間で大量の図面を仕上げ、突貫工事で宗谷を砕氷能力のある南極観測船に改造、その後の活躍はいくつも映画やテレビドラマに取り上げられる事になるのです。宗谷が救命した人々は1000名以上。艦歴のめでたさから現在も宗谷は記念館として船の記念館に稼働可能な状態で展示されています。宗谷は2224トンx全長 82.3m。大和の33分の1の大きさしかないけど残した結果、与えられた祝福は比較の対象にもならない。大和では南氷洋に行けない。流氷に閉じ込められた人を助けられない。自分が船に生まれるなら、ぼろぼろになるまで平和と人助けに働けた宗谷になりたい。きっと技術者のマーキ・牧野元海軍大佐も同じように思っているのでは。もう一人のマーキ、我らがゴッドハンドモデラー・マーキに組んでもらえたフジミ模型の1/700大和もきっと幸せだ。

戦艦「大和」 天一号作戦(沖縄特攻)時 1/700模型 艦隊行動中ジオラマ展示 プラケース付き
マーキの戦艦長門に続いてこのモデラーのページで贈る「戦艦大和」。母体になったのはフジミ模型のシーウエイシリーズ1/700のプラモデルキットです。大和は竣工時4基の副砲を積んでいましたが、戦訓から副砲2基を降ろし高角砲を12基積みハリネズミみたいになりました。このモデルは大和が撃沈された天一号作戦時(沖縄特攻)時の最終形を再現しようとするものです。
マーキの模型を横から見る。これ1/700の模型ですよ?70cmの物を1_で表現。世界最大の巨砲46センチ砲の発射口を覗いてもシャーペンの先ほどの0.65_でしかない。12.5_高角砲なんて17ミクロンのまさに針の先よりも小さい点!なのにいかがですかこの画像の大和の美しさとリアルさ、重厚感。ゆるみのないアンテナ線ひとつ見て下さい。なかなかこんな風にピンと張ったりリアルに緩んだり出来ない物なんだ。何も言わずに写真だけ見せたら戦中を知る人も「こんな写真があったのか」と思うでしょうね。大和が持つ神秘敵な美しさを最も実感するアングルです。この神懸かった美しさと大きさに当時の人がこの船を見たら「日本が負けるはずはない」と思ったことでしょう。砲塔が重いので重心を下げて射撃時の安定性を確保しつつ、高波を乗り越える能力(凌波性)を確保するため巻首は高くせねばならない相反する要求性能を満足する為の設計(大和坂と呼ばれます)でした。艦載航空機や艦載艇も船内に収容出来ました。甲板に置くと自分の巨砲が起こす爆風で皆壊れてしまいますからね。46センチ砲で撃ち出される弾丸はジャンボジェットの飛行高度より高い高度11200mに到達、42kmの彼方に着弾しました。

マーキ本人のコメントはグレーで表現しています。「重巡洋艦巡洋艦・高雄の製作前に、製作依頼のありました戦艦[ 大和 ]が完成しましたので、とりあえず写真を送ります。
写真の枚数が多く適当に選んで送ります。( 私としては、もう少し詰めた大和にしたかったのですが、期限が限られていたので多少、妥協しました )」
じゃ本人が投稿してきたメーキング画像を掲載してこの大和という傑作艦とマーキの傑作模型を御紹介しましょう。
甲板を切り離し、新規作り替えます。0.5mm厚プラ板にラインをけがいて行きます。
出来た所で、砲台を1.0mm厚プラ板で作成。船体側面を加工。(地味な作業が続きます )
船らしくなりました甲板板目のマスキング終了( 6色程使用 )
後部甲板部分 マスキングを剥いで完成
マストを作成( 上部がキット品です )後部甲板エッチング板を貼付け
艦底色を塗装しました主砲を作成( 弾倉は、電気チップを使用)
副砲を作成煙突を作成
艦橋周りがほぼ完成(前より ) 艦橋周り( 後ろより )
内火艇を作成しました
大和は爆風で内火艇が分解してしまう恐れがあるので格納庫に収納。大和にはいつも大将級が乗るので内火艇も豪華なもの。細かく作り込んでいます。
完成しました(1)
海軍では甲板はお座敷。塵一つ無いどころか甲板を磨き上げています。機銃のマントレット、舷側の柵も再現。主砲塔上の手摺やラッタルまで精緻な仕上がり。
大和に採用された探照灯は96式探照灯。口径150センチの凹面鏡が使われているはず。1945年の男性平均身長は164.9cm。1/700のスケールでもその比率は正確に表現されています。一体ずつが別のポーズを取っています。2.5ミリ弱の人。上のエッチング部品を貼った部分にも惜しみなく装甲板を貼り付け。大和の砲弾は水平線の遙か向こうまで飛んでいくから水上観測機を飛ばして着弾位置を見たわけです。水上偵察機が、大戦時は米軍に撃墜されてしまうのでレーダー射撃(不確実)だったでしょうね。
完成しました(2)
ジオラマ化した状態。左に舵を切った状態でしょうか。戦艦はバイクのように倒れ込むことが出来ないので遠心力で外側に傾斜します。この感じも出ていますね。甲板のチェーンも作り直しただけあってリアルに出来ています。

因みに、自分としてはジオラマ仕様でないほうが好きです。長々とご覧頂き有難うございました。高雄の製作状況は、進み次第メールさせて頂きます。
いま良いカメラが無くて携帯カメラで撮影していますケースに入れて完成。( ケース/台は自作です )

 コレクション4 マーキの真の「戦艦 大和」 20120226
マーキの作る模型の完成度の高さはよくわかるんだが、画像を送って来る彼が書いてくる文章はいつもぽつんぽつんなのでよくわからないのよね(^^;。完成した空母「翔鶴」の艦載機の画像と一緒に受信した大和の画像「次いでですが、戦艦大和の写真も送ります( 依頼品よりリアルを感じて下さい )。(ベースになっているのは)タミヤ模型の(1/700)・・」から察してタッキーなりに解説しますと、要するに上の「コレクション2」の大和はどなたかから請われて「作ってあげた」物だったのでしょうね。多分既に何隻も作成した大和のうち、自分のお気に入りの出来映えの物をマーキの手元に残しているのでしょう。ならば蒼き夢のページとしてはマーキ納得の一品であるこのコレクション4戦艦大和を真の一作として公開しなければなりません。
左は艦首第1/第2主砲塔部、右は艦尾第3砲塔部を俯瞰して見る。大和の装甲の上に貼られた木甲板はチークでは無く台湾ヒノキのはずです。板を組んだ感じが良く出てますね〜。その上に組み立て式の機銃を設置し、土嚢で覆って銃座を作っている。主砲を撃つときには兵が甲板に居ると衝撃で鼓膜が破れるどころか吹き飛ばされてしまうから兵がこのあたりに居ることは無く、即ち主砲では間に合わないほどの至近距離x多数の敵機が来襲してくる緊迫した事態になっているのでしょう。砲塔にかけられたラッタルを登ろうとしている兵、主砲の昇降部を守るカバーの質感に御注目下さい。画像はクローズアップ写真なので当たり前に見えるかも知れませんが、これ1/700のスケール、戦時中では大柄だったはずの身長が170cmとしても、2.4oでしか無いのです。
艦橋部を右舷前方と左舷後方から見る。大和の特徴的な集中防御思想が見て取れる密集ぶり。このあたりの舷側や吃水下はさぞ装甲が厚いんだろうと思える重厚感。煙突には菊水の楠木正成の紋所が見えます。所謂当時の特攻作戦に参加しているのでしょう。艦橋部は正に針の山、そして軍艦の運用する多種の兵科/主計科の複合した存在感、士官・兵員の生活感まで感じます。これくらい作り込んでいると実物の記録写真なみだと思えます。まさにマーキの願い通り「リアルを実感」してみて下さい。大和ミュージアムの1/10模型もこんなリアルな出来じゃ無かったよ。
今回の作品「戦艦大和」も物凄い出来映えだったね。メーキングの画像を見ていると、真鍮やエッチングの金色があえて見えるような塗装にして仕上げたものも芸術的な出来映えになるかも知れませんね。
次作「航空母艦 翔鶴」「重巡洋艦 高雄」、の完成を待っています。