このKG SS OB会のホームページは幹事の石原さん・小畠さん・田中さんの御希望の内容に沿って57年度入社タッキーが作成/管理しています
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SS OB会メンバーの投稿のページ
2013年1月18日 SS会は良い会です ・・ 小畠さんより
タッキー、HP更新ありがとうございます。若手(SS/OB会では貴兄は若手です)がいないと、こういうことも中々出来ません。
(当日は沼津で仕事ですか?)沼津は三島の一つ先でしたよね、遅れても飛んで来て下さい。二次会でも結構です。
昔、大東製機に行き、SSの飲み会に三島から飛んで帰って来たものでした。
SS会は、非常に、良い会ですよ。
出戻りで、計9年在籍しただけの小生みたいな中途半端な者でも、わけ隔てなく迎えてくれて、ありがたいものです。2/1も28名ほどの予定ですが、年々増えて嬉しいものです。長く続けたいと思いますので、HPの方も宜しく頼みます。
2011年3月7日 我が名は・・ マイスター永原さんより
小生の名前の日本名「章甫」は、そのままの音読みで,ショウホです。戸籍の登録もその様になっています。今だったら登録が、出来なかったかも知れません。余りにも馴染みのない名前(実際は中国名)だったので、親はもとより家族も呼ばなかった(呼べない)らしいですが、おばあちゃんが、最初に折角付けたのに、呼んでやらないと可愛相と言って無理に呼び始めて、漸くショウチャンで落ち着いた様です。学校の先生や一般には、ショウスケ、アキホが多かったです。学校で校長先生から表彰される時に、名前をまともに呼んでくれないので、前に出て行かず、担任の先生にお前の事だとしかられる事が度々ありました。
親戚や周囲の人達、学校では、ショウサンと呼んで呉れました。近所の人達等は実体を全く知らなかったですが、偶々祖父の名前が庄太郎だったので、その一字を貰ってショウチャンと呼ぶのだろうと周囲の人達は思っていたようです。因みに親父の名前は何の変哲もない敏一でした。之までの人生で私の名前を正しく呼んだ人は、中国を含めて一人もいませんでした。
因みに、中国語読みは、ヨンユエン(永原)ザンプ(章甫)です。自分の名前を人に聞かれて、一度に聞き取ってくれず、どんな字ですかと問われて説明するのが又一苦労です。
いつものやり方は、文章の章と、杜甫の甫といいますが、中国の詩人の杜甫と言って理解出来る人は意外に少なく、結局浦島太郎の浦のサンズイヘンを取って下さいと言い、漸く判って呉れます。
之には結構時間と忍耐が必要ですので、急ぎの時には、問題です。この様に、ネーミングは大事で、慎重を期せねばならないと常に思いながら、長男には、章嗣(あきつぐ)と命名して、又もや同じ苦労 をさせています。嗣の字がなかなか読めない人が多いです。世嗣と言う言葉が私語になりつつあります。子供は男3人ですが、全てに嗣をつけて章嗣、裕嗣、英嗣としました。其々子供時代に嗣の字での習字で苦労させ少し恨まれています。子供達は成人して、嗣の字には満足していますが、矢張り説明に同じ苦労している様です。
余談になり、かなり脱線し長文になりましたが、良い機会でしたので、自分の名前について悪乗りして、ついつい薀蓄を語りました事ご容赦下さい。
2011年3月1日 日中対比文化論 マイスター永原さんより
今回の中国出張時の宴会でも小生の名前が話題になりました。大学卒の企業幹部の人達でも、名前の持つ意味を承知しておらず、私が少し補足説明する事で、理解、納得し、一挙に親近感が湧き、其の宴は大いに盛り上がりました。
中国では、話題の一つとして、大いに役立っていますが、殷時代や孔子とは彼等にとっても最早古すぎて、古い慣習など知らなかった次第です。それほど古い時代の事でした。因みに、孔子や孟子の教えは、中国では根付く事なく、日本で花が咲きました。今、中国は、この教えの真髄を理解して、中国にこそ必要だとその普及に懸命に努力をしています。しかし例の文化大革命では、それらの教えは、否定され事跡を見事に破壊されました。更についでながら、之と関連して中国には、面子を重視する一方で、恥と相手を敬う謙虚の文化が有りません。
之が人の倫理観、道徳観に大きく影響しており、中国人には、公衆道徳、責任感が欠如しています。一方日本人には、それが強く定着しており、この差が大きく、之までの外交問題の亀裂に繋がっております。来日した中国人は異口同音に驚く事が有ります。それらは、
1.日本は、整理整頓され、清潔、綺麗(ゴミがない、つばをしない。紙幣が綺麗など)
2.交差点で赤信号を守る
3.二人以上になると、自然に縦に一列に並ぶ。中国では横一列に並ぶ。
買い物先、地下鉄、劇場、スタジアムなどで整列し、静かに順番を待つ。
4.契約を守る。中国では、如何にしたら、契約を守らなく出来るか(逃げ道を探る)。
日本人は、如何にしたら、契約を守れるか努力する。だから実行を念頭に置くので、決断は遅くなるが、決めたら必ず実行する。
中国での有名な諺、 上に政策があれば、下に対策があり。水に落ちた犬は叩け。
5.忘れ物がなくならない。遺失物が出てくる不思議。
6.親切で易しい、礼儀正しい。(日本人の国民性)

数え上げたらきりがないが、それらは全て中国ではありえない事ばかりです。中国の公園の入口には、10数個条の禁止条項が書かれています。その内容は大人の常識を疑うような幼稚園児に諭すような内容ばかりです。要するに文化レベルが低く自己主張ばかりする人種です。社会構成も含めて、その様に幼児教育されて育っています。以上 参考までに
2011年2月21日 こばさんとニックさんより
九郎さんへ
HPのギャラリーを拝見しました。歴史散歩(その1)を楽しく拝読。何より驚いたのは、スケッチです。
貴兄に、この様な才能があったとは、40数年も付合ったのに存じませんでした。失礼しました。 素晴しいですね。仕事復帰で、忙しくなるでしょうが、(その2)、(その3)と続編を
楽しみにしております。
タッキーどの
HPの幅が益々拡がりますね。ご苦労様です。私もまたその内に、想い出(その2) を投稿します。
諸兄へ
この素晴しいSSのHPを、機会あるごとに、おおいに宣伝いたしましょう。 小畠拝

九郎さんへ
ギャラリー拝見しました。小生も貴兄の腕前を全く知りませんでしたのでビックリです。お見事な編集、隠れた高名画家のスケッチと思える程に高めた歴史探訪記事、興味深く拝読しました。続きを楽しみにしています。 石原拝
2011年2月10日 小生の想い出を続き物で投稿します。・・こばさんより
SSの想い出(1)  「 入 社 」             23.2.9 小畠正コ
私の祖父は、父方は海軍大佐、母方は陸軍大佐の職業軍人で日露戦争に参戦、親父は歴史・漢文の教師という堅い一族で、私も数学教師になろうかと思っていた。しかし、昭和30年代に、日本にも電子計算機なるものが入ってきて、興味を持った。大学で数学を専攻していた私は、4年生になったS40年、IBMとユニバックへ行った先輩を訪ね、どちらかへ行こうとしたが、大学の就職課から数学科へ「兼松という会社から、IBMを買ったから誰か来て欲しい、とのことだ、何度も要請が来ているから、誰か話ぐらい聞きに行ってくれ」と再三連絡が来ていた。

仲間の大半が教師になり、私も経済界に疎く、商社なるものも知らず、兼松なんて聞いたこともなかったが、IBMを買ったばかりとはどんな所なのだろう?と、話を聞きに行くことにした。これで私の人生が決まってしまった。総務部で説明を聞き、後日役員面接があり、それで採用となった。6月頃の事だったと思う。試験もなく、今の就職難とはえらい違いだった。(その後、9月に教育実習があり、付属中学で教壇に立ち、教師もいいなと思ったが、遅かった。)兼松がIBMの電算機を購入したのはS39年で、本社(大阪)に事務合理化室を作り、今から考えると、バカでかい機械を入れた。私は当然大阪に行くのだと思い、周りにもその様に話して、送別会等もやって来た。

所が、年が開けた41年、会社から連絡が来て、「あなたの配属先は、東京の機械繊維プラント室です」とあった。何だ、これは? 自分は大阪へ行くつもりだったのに、全く分からないが、兎に角、大阪行きはなくなり、先ずは、東京での勤め初めとなった。後日、谷口室長から、機械部の連中は数字に弱いのが多いので、おまえを貰ったのだと言われたが、・・・・。 その後、59歳でサラリーマンを卒業するまでの37年間は、全て東京勤務・浦和在住で終わった。 創立75周年の39年8月にIBMを入れたのだから、入社した41年には、もう部門マーク(SS)があったと思うが、最初の頃は、成約メモや売上伝票等は全て手書きで、それを事務合理化室(後の計数部)の女子社員が入力していた。
私の同期入社は、全社で48名、早稲田の数学科から来た佐藤俊君が事務合理化室に入っている。同期は結束が堅く、私が万年幹事で、今でも毎年同期会を開催している。東京の機械部には、市場、近藤、山本、私と4名だった。翌42年、江商と合併、その後KGもSSも拡大し、群馬大の石原、加藤、福井大の刀禰、幸道と繊維機械専門の四氏が入り、SSの同年次は5名になった。  (つづく)
2011年2月1日 このホームページ大いに活用/発展させていこう マイスター永原さん
早速ホームページを拝見しました。なかなかの力作です。SS会の紹介記事の序論の出来は特にいいですな。製作者のセンスが伺えます。私の大学同窓会(クラス会)も同様にホームページをもっていて、腕っこきが維持管理してくれています。時々それに投稿すると、編集し、装飾して、掲載してくれますが見事なものに変貌しています。仲間にはいろんな趣味の持ち主が居り、内容の濃いものになっています。
このSSのホームページも大いに活用して、発展させて行きたいと願います。写真の中央の元代行が邪魔ですな。
(ハンドルネームを「マイスター」として、御連絡を投稿記事にして良いですかという質問に対して)
迅速なる対応にビックリです。結構です。お任せしますので適宜訂正し、装飾を施しておいて下さい。さすが元一流商社マンの動きは素早く、機を逃さないですな。
大学のクラス会のHPは、”紡ぐ”と言う名称になっています。プロ級のカメラマンがおり、写真掲載が多いです。後は、絵画、水墨画などの趣味の作品を載せています。更に歴史学者に近い、考古学が無類に好きな御仁がおり、最近出土した古墳や、卑弥呼等について解説論文を載せています。小生は気の向くまま専ら短い中国紀行文を投稿しています。
2011年2月1日 「忙しい内が花」 こばさん
いろいろとスピーディな仕事ぶりに感心するのみです。さすが、若さですね。(いや、能力か?) ありがとうございます。
小生も、先日のOB会報告や、SSの想い出などを、投稿しようと思いながら、なかなか出来ず恐縮です。一寸待って下さい。小生のハンドルネームは、「こば」でOKです。先輩達からは、 「こば」とか「こばちゃん」と言われ後輩達からは、 こばさん と言われていたので、「こば」にしましょう。毎日、やぼ用に追われていますが、「忙しい内が、花だ」と思ってやっています。小畠正コ拝